033042 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

☆ken,Jun,Tom☆  I love you forever!

☆ken,Jun,Tom☆ I love you forever!

三つ子の流産のこと。。。

私が三つ子を授かったのは、2004年5月17日のIVF-ICSIによってでした。3つ戻しはしたものの、成功するかも60%で、まさか3つの受精卵がみんな着床するなどとは夢にも思いませんでした。陽性反応後、初めてのエコーで、3つの袋が見えてドクターは、オーボーイ・・・と困惑顔。初め、子宮外妊娠でもしたのかと思ったのですが、3つ子と言われ、全然ショックには思いませんでした。むしろとっても嬉しく思いました。

でも、その直後から、ものすごいつわりに悩まされ、同時に血液検査で、甲状腺機能亢進症ということで、薬が出されたのですが、なかなかおさまらず、常に心臓がバクバクしていました。そして、つわりを抑える座薬も入れていて、こんなに薬漬けで大丈夫なんだろうか、という赤ちゃんに対する影響を心配したもののの、流産に対する心配は、まったくしていませんでした。

タクシーや旦那に送ってもらいながら、又は時に医師である義母にぶどう糖を点滴してもらいながら、会社に行っていました。途中、不安になり主治医に、「今こんなに頑張っていて、体に無理をかけるのは後々ひどい結果になりえるだろうか?」という質問をしたら、「それは人それぞれで、3つ子でも、働きながら30週までいったひともいれば、20週で入院する人もいる。」ということで、仕事は特に忙しくなく、会社にいって、机につっぷしていることが多かったので、無理をしているという気持ちはなく、とにかく頑張れるだけ頑張ろうと思いました。

15週目頃、とても黄色いおりものがたくさんでるようになりました。医師に言っても、おりものが増えるのは当然ですよ、と診ることもなく終わりました。16週になったとき、お腹が痛い、、、耐えられないほどじゃないけど、こんなにいつも痛いのはおかしい、と思い、医師に言うと、診察日じゃなかったので、その医師の勤めるERに来るように、と言われていったのですが、私の主治医はERに来てくれず、痛みは三つ子によって子宮が今、急速に大きくなっているからですよ、というER医師の言葉と、超音波で、赤ちゃんが3人とも、すっごく元気で、でんぐり返りをしたりとてもよく動いていたので、そうかー、と納得して帰ってきたのでした。次の日、主治医に呼ばれ行ってみると、昨日、ERで調べた検査にひっかかっていた、白血球が高いということを言われました。どこか調子の悪いところはないか?痛いところはないか?と聞かれたのですが、その時には、なぜかお腹の痛みも治まっていたし、まさか、ERの医師を疑ってもいなかったので、大丈夫だと言ったのでした。主治医も、何かあったらすぐ電話するように、とだけ言って、もしかしたらラボの間違いかもしれないということになったのです。

その3日後、朝、シャワーを浴びた後のこと、少し水が下から出てきて、シャワーを浴びたときに入った水だろうと思い、気にしてませんでした。ですが、これが後で気づくことになった破水だったのです。その晩、高熱が出て、お腹が痛くて眠れず、次の朝7時半、待ちきれずに医師に緊急の電話をかけました。すぐに産科入院病棟に来るように、といわれ、言ってみたら、この痛みは陣痛だったと理解したのです。陣痛ってこういうものか、、とそのとき初めて、夫も私も知り、ということは、あの水は・・・と後で破水だったことにも気がついたのです。そのとき、子宮口は1CMほど開いていました。

さぁ、もう入院しているし、大丈夫だろう、と思ったのですが、なぜか、おりものはどんどんひどくなり、黄色いどろどろとした膿ですね・・、がひっきりなしに流れていました。それでも、赤ちゃんも元気に動いていたし、病院にいるんだからもう安心、と信じきっていました。

ところが、入院後3日して、主治医が来て、こういいました。「白血球が日に日に高くなっていて、もう限界の状態だと。。。子供は全員あきらめないと、あなたの命にかかわる。」と。。。

突然の死刑宣告に、耳を疑ったし、涙も出ませんでした。夫が来て、それを言うと、夫も同じ状態。主治医にはとにかく、一日考えさせてくださいと言って、夫と相談していました。でも何も分かるわけもなく、その晩は寝たのです、そうして、次の朝早朝、5時過ぎ、洗面器(のようなもの)におしっこをしていたら、何かがするっと出てきて、それが赤ちゃんだということを知り、、、しばらく呆然としていました。

はっと我に返って、ナースコールをしたら、その光景にかけつけた3人のナースも、しばらく呆然としていた状態で、1人があわてて先生を呼びに行きました。その後、へその緒にクランプをつけ、私は病室を分娩室に移動させられました。そして、1時間後に旦那がかけつけて、夫の顔をみた瞬間に、何かがはじけたように、大泣きしました。事態が見えてきたのです。夫はその時は、一生懸命励ましていて、残念だったね・・・、でもまだ二人頑張っているんだから、頑張ろう!あきらめちゃ駄目だよ!って言ってくれたのですが、その後、すぐ主治医が入ってきて、「もう決断しないと手遅れになる!諦めましょう。」と。なぜ、生きている二人を殺さなくちゃいけないの?!と頭が混乱するなか、夫は「敗血死」のことを色々聞き、最後まで諦めない方向を模索したのですが、この敗血死っていうのは、ショック死だから、前触れもなく、あっという間に血液の中に毒素が入り、体中をかけめぐって死に至る、というもので、もう駄目だ・・と覚悟し、言葉にならないままに、中絶分娩を承諾したのでした。主治医が出て行った直後、夫が初めて大きな涙を流し、二人でわんわん泣きました。

お腹の中に薬をいれられ、効き目を待つ間、私はちゃんと産んであげられなかった子供達3人に向かって、声にならない声で、お経を唱え、終わった時、「ごめんね・・」と言った時、又夫が涙し、又二人で大泣きしました。

その後、赤ちゃんの死亡を確認するべく、超音波室に陣痛の激しい中、陣痛促進剤でもって、陣痛の痛みと、精神的苦痛、悲しみの中、涙があふれて止まりませんでした。その後、看護婦さんが、「こんなに痛い思いをしなくてもいい!無痛分娩にしましょう!」と言ってくれて、そうしました。その後、痛みは麻酔で抑えられ、2時間後に1人、もう1時間後に最後の1人を産み、30分後には3つの胎盤を出し、全てが終わりました。胎盤を出す直前、呼吸困難になり、意識も遠のき、心臓は破裂せんばかりに高鳴り、軽い痙攣がおき、死ぬのかな、、って思いました。でも、頑張って目をあけて夫の顔をみたら、泣き出さんばかりで、不安そうな顔をしているのをみて、ここで死んだら、夫の悲しみは4倍・・頑張らなくちゃと思った時に、ばぁーっと胎盤が出て、全てが終わりました。


© Rakuten Group, Inc.
X